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無罪判決⑰ CBA(チャー・ボガート・アピス)






“Lady”(YOU TUBEリンクのみ)





Char関係のアルバムは結構持っていて、それは学生時代に自分がギター・ベース・ドラムスのトリオ・ロック・バンドを組んでいた所も理由ではある。しかしながらチャーとの出会いはもっと前のこと、小学生くらいの頃だったから元々彼の持つ音楽的フィーリングが自分に合っていたのだろう。自分はブラック・ミュージック好きのベースマンだったから、ギタリストであるCharはギター・プレイヤーとしてより、彼の作る音楽の方に興味があったわけだ。


そんな長く親しんできたCharを今回の処分品裁判にかける事は考えていなかったが、やはりどうしてもあまり聴いていなかったCDは存在するわけで、特に3曲前後のミニアルバムやマキシ・シングルはほとんどもう聴くことは無く、すべてファイル化してハード・ディスクに保存しておけば十分ではないかと考えるようになってきた。


さて、フルアルバムの中で今回迷ったのがこのCBA LIVE。早い話がベック・ボガート・アピスの略BBAのベックがCharのCになった限定ライヴなわけだが、これは生で観てみたかった。そんな自分のようなファンの為に発売されたようなチャー・ボガート・アピスのライヴアルバムである。後話でこの限定バンドのティム・ボガートとカーマイン・アピスはあまりやる気を出していなかったとかそれに対しチャーが怒り心頭だったとか言われているが、このライヴを聴く限りではなんの結構熱いライヴが繰り広げられている。



だが、このアルバムに関しては聴き終わった後に消化不良状態に陥るのである。まずは、その内容。ライヴなのに全10曲54分は短すぎる。これは収録できるクオリティの音源がこれだけしかなかったと言うことなのか。(それが前述のやる気云々と関係しているのかどうか)

そして、その構成にも難がある。前半はボガート/アピスが中心となり、チャーがサポートしているような形で、後半はほとんどチャーのライヴになってしまっているように聴こえるのだ。つまり、チャーvsボガート/アピスのような構図になっていて、3人が息を合わせてCBAと言うバンドを確立させているわけではない。しかたがない所だが急拵えの企画ユニット感が否めないのがこのライヴアルバムに現れてしまっているのだ。だからこそこのアルバムは収録できる尺ギリギリ、74分まで音源を詰め込んで欲しかった。BAを数曲、チャーをちょこっとではなく。それだけでこのバンドがCBAたるものであるとともにアルバムに対する評価も変わっていたに違いない。



で、じゃあこのCD処分するの?

いやぁ、ノーです。やっぱり自分はCharが好きだから(笑)。


ここまでコケにしておいて結局そう言うことなのだ。
実はこれが一番言いたかった事かもしれない。



CBALIVE.jpg CBA LIVE (2000)





無罪判決⑯ SING LIKE TALKING





“forever”





ほとんど手つかずだったCDの山から見つけた、それこそ掘り出しモノの一枚がこのSING LIKE TALKING/welcome to another world。
彼らの存在はすっかり忘れていましたね。それこそ日本の、ただのAORフォロワーかと。酷い言い方をすれば猿真似グループ的な印象が強く、ファースト・アルバムを持っていた自分はどうもその印象が強すぎて頭から離れていました。

しかし今回取り上げるこのアルバムも買っていたわけですから恐らく自分としても当時気に入った曲があったのだろうと推測します。20年ぶりに聴いてみるとなんだこれは、と。もうすでに単なる洋楽/AORに憧れているだけの拙さが滲む音ではなく、しっかりと彼らの世界観がアルバム一枚通して伝わる力強い存在となっている。いや、アレンジとメロディーのどちらも均整の取れた良曲がこれでもか、これでもかと畳みかけて来る構成に圧倒されてしまうのです。

確かにアレンジは全て「~風」と言ってしまう事のできる、悪く言えばパクリアレンジなのですが、いやいや、そうではない。リスナーがアレンジの元ネタに気づかされながら違和感無くSLTの音として楽しんでしまえるようになっているこの完璧なまでのコナレ感。世界を虜にした7~80年代洋楽/POPへのオマージュがふんだんに詰まっているわけでけっしてオリジナルの素振りはしていない。それどころか全編通じてとてもHopefulで愛の詰まった歌詞と佐藤竹善のヴォーカルによりしっかりとSing LIke Talkingの音楽として完成されているところが素晴らしいの一言ですね。

自分としてのハイライトは中盤の“skylark”~“forever”の流れ。言ってしまえばCHICAGO~EW&Fなんですが、なぜか思い出したのがスティーヴィーの「キー・オブ・ライフ」の中で“Sir Duke”~“I wish”への流れのような、アルバム中盤に飛び道具で盛り上げる構成ですね。もちろんあのアルバムも一曲目から静かに、かつ味わいのある良曲がずらりと並んでいたのですがそれと共通する感覚が自分の中にはありました。

家の片隅に眠ったCD群も本当に侮れないなぁ。ビートルズ、クイーンからEW&Fまで現れる、日本の音楽ユニットによる20世紀POPの宝箱のようなアルバムを20年経ってから発見する事もあるわけですから。




sltwtaw.jpg SING LIKE TALKING/welcome to another world (1997)








無罪判決⑮ 深町 純










今回処分品裁判にかけられたのは深町純。
小学生の頃に夢中になった井上陽水のアルバムでその名を目にしてはいたが、特に意識もしていなかったところかの「オン・ザ・ムーヴ」が現れ自分の中で一気に存在が高まった人でした。
しかし、もうすでに洋楽に嗜好が傾倒していた自分にとっては実のところ深町純と言うより、それに伴なったニューヨークのミュージシャンから引き出されるサウンドに痺れたと言うのが本当であった。海外ミュージシャンがいたからこそ。これは正直なところなのです。

前ポストでも書いたが、和モノフュージョンは苦手だった。
そんなイメージを覆したのが「オン・ザ・ムーヴ」だったのだ。
それでも、あまりにもこのアルバムが傑作であったためにこの深町純と言うピアニストの音楽センスは凄いな、と子供心に刻まれたのもまた事実。

その後、KEEPの諸作なども購入してみたが、やはり「オン・ザ・ムーヴ」を超える衝撃は無かった。
そしてこの「スパイラル・ステップス」をも、だった。

しかしながらこのアルバムは「オン・ザ~」が出る2年前にすでに作られており、日本のミュージシャンがいち早く海外で現地のプレイヤーと録音を行った草分け的な存在だったと言う。それこそ当時は若手だったブレッカー・ブラザーズと共演し、その流れがその後の活動にも結び付いていった記念すべき作品なのだ。

確かに、70年代のクロスオーヴァー・ミュージックである。それも、苦手な和モノテイストもかなり感じられる。
でも、テクニカルなクロスオーヴァーを演奏しつつも深町純の音に深く根差していたと思われる、叙情と言うモノがこのアルバムでも感じられたのは大きかった。これは「オン・ザ・ムーヴ」でも共通の響きがあったものである。これは世界のどのピアニストにも出せない味なのだ。これは何事にも代え難い。これが決定打となりこの2作とニューヨーク・オールスターズの3枚はやはりセットで置いておいた方が良いなと言う結論に至りました。

ちなみにここで全面的にドラムを叩いている村上ポンタ秀一氏がこう述べています。

「俺が24才の時に、深町の『スパイラルステップス』というアルバムで、あいつがニューヨークに連れてってくれなかったら、まずどう考えても今の俺はないよね。」

24歳であのプレイと言うのも驚きですが、まぁそういう事です。

うーん、ちょっとご無沙汰になっていたけど改めて深町純を探求したくなってきたゾ!


spiralsteps.jpg 深町純&ブレッカー・ブラザーズ/スパイラル・ステップス (1976)







無罪判決⑭ Kenji Oomura


“UMEDONO”






今回無罪判決を勝ち取ったのはジャパニーズ・フュージョンのこのアルバムだった。
おいおい、このアルバムを処分品裁判にかけようって言う事自体が間違いでしょ。
検察(この場合は私の事ですが)気が狂っとる、と思う人も多いでしょうね。


もともと、この頃の和モノ・インスト・フュージョンは好きじゃないんですよ。
嫌いではなくて好きではない。この微妙なニュアンス。
ライヴなら楽しめるんだろうけど、レコードやCDでかしこまって聴けないんですね。全部じゃないですが。

ジャパニーズ・ロック黎明期に共通するような「憧れ」がにじみ出すぎている音。これが苦手。
まだJ-ROCKのようにヴォーカルがあれば良いのですが、インストでは誤魔化しが効かない。


しかしこれは1978年、ハーヴィー・メイソンのプロデュースでバックはまだデビュー前のTOTOの面々やシーウィンドにリー・リトナー、エイブラハム・ラボリエル、グレッグ・マティソンなどそうそうたるメンバーで固められ作られた悪かろうはずがないアルバムなんです。

なんです、けど、やっぱり頻繁に出して聴く作品とはならなかった。
今回久しぶりに最初から聴いてみても、つかみであろうはずの1曲目“left handed woman”のなんともズンチャカズンチャカな日本人的フュージョンをこのそうそうたるバックメン達にやらせている勿体なさが残念過ぎて、初めて耳にしたその残念なイメージが思い出されてしまったのですが、聴き進めて行くうちにこれはしっかりと大村憲司のアルバムなのだと言う事に今更ながら気が付いた。
何か「真似事」感の強かった当時のジャパニーズ・フュージョンと言うイメージが、存在感のある大村氏のギターで見直された思い。著名プロデューサー&ミュージシャンに負ける事なく自分の存在をアピールしたこのアルバムに敬意を表したくなりました。



まぁ、それでも次に聴くのは当分先になるかな。
でもその時のために取っておきましょう。







omurak-kenji.jpg 大村憲司/KENJI-SHOCK (1978)





無罪判決⑬ Angela Bofill





“The only thing I would wish for”





今年ももう終わり。毎年毎年感じている事ですが本当に輪をかけて速かった。
いや、速すぎるっっ


いよいよ来年は引っ越しをする予定なのですが、こうアッと言う間に時が過ぎると来年の今頃も同じ事を言って、何も変わらず一年が過ぎていくような気もするし。でも家財整理は粛々と進めていかなければなりませぬ。

今年最後の無罪判決は(日本の金子総本店代表を除き)初めての女性シンガー。その名はアンジェラ・ボフィルでした。
彼女のアルバムは何枚か持っていますが、このファースト・アルバムはその昔は地味なイメージを持っていて好きではありませんでしたね。もっと洗練されたアレンジになったその後のアルバムの方がどちらかと言えば良く聴いていたクチで、最後までコンテンポラリー・ジャズシンガーのスタイルを貫いたこの1stはどうもピンと来なかったわけです。しかも、まだ若いAngieはそんなに歌が巧くなかった。いや、技術的にはそんなに下手な歌手ではなかったのだけれど、まだまだその唱法が自分のモノにできていなかった、と言った方が良いかな。ジャズ・シンガーとして売り出したい意図と歌の実力がしっかり噛み合っていない印象でした。


しかし、歳を重ねた今あらためて聴き直してみる。彼女の歌は決して変わることはないのだけれど、売れるポップ・シンガーではなくこの道に真摯に向かっていく若きアンジェラ・ボフィルのヴォーカルの生真面目さに惹かれていくことに。この嗜好の変化。自分が大人になったのかそれとも子供だったからなのか。この良さがわかるようになればまだまだこれからのリスナー人生も楽しみが増えるはずですね。


その中で今回ご紹介するのはプロデューサー、デイヴ・グルーシンお抱えのフルーティスト、デイヴ・バレンティンと最初から掛け合う“The only thing I would wish for”、今年のシメはこれで。


それではみなさん良いお年を。



ANGIE.jpg Angela Bofill /angie (1978)





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